私の挫折経験/自由に生きていい
皆さんこんにちは。夜よりも朝、冬よりも夏が好きなアリです。夏が大好きです。
今回の記事では【私の挫折・ADHDが分かった理由】について書きたいと思います。
私は過去にたくさんの挫折を経験してきました。ADHDという時点で人よりも不器用な生活を送っています。他の人が経験しなくていい壁を経験し、他の人が経験している壁にぶつからずに生活を送ってきたのではないでしょうか。
今回の記事では「楽な気持ちになりながら自分と向き合って人生を送って良いんだ」と思えるようになった経験を書いていきたいと思います。
それでは…スタート!
まず私のADHDスペック?を簡単にご紹介します。
【苦手なこと】
・短期記憶
・数回の作業で仕事を覚える事
・経験したことのないことをイメージすること
・説明から物事をイメージすること
・笑いのツボが人と違い、不適切な場面で笑ってしまう
・会話を理解ではなく共感で展開
・会話の全体像の把握をすること
特に悩んでいることが【イメージの欠如】ですね…。大体の方は説明を受けたら物事の全体像やイメージを掴めるのかもしれません。私には全体像を創造することが本当に難しい。大体イメージしたことが間違っています。27年間生きていて説明を受けてからイメージしたことが正しかったことは2回くらいです。
イメージの創設というのは、話している人の説明を上手く頭で組み立てられないんですよね。そのため会話の内容を理解しながら話すことが難しいです。そういう時は会話している方の感情や内容に「共感」して会話を楽しんでいます。ただ夫からは「理解してないでしょ」と冷たい目線を送られます。理解出来るまで会話をしてみる、これ私の課題です。
■挫折について
挫折は就職先で
今まで経験した挫折は仕事で起こりました。仕事の流れや全体像が掴めるまでは仕事をこなすことが難しく、教えて頂いたことをすぐに忘れてしまったり。もう自分は仕事が出来ないと考え、新社会人の頃は当時彼氏だった夫に毎日泣きながら電話をしていました。就職したての頃は職場の方から厳しい言葉をもらうことも多かったです(今思うと愛情でした)。
それでも1年も働いているとだいぶ使えるようになってきて、前職では2年半働きました。
前職は介護職でしたので、私は仕事内容を体で覚えていました。
一定期間委員会に所属していることがあったのですが、その委員会ではケアレスミスが多発しました。毎日苦手な方から注意を受けました笑。ADHDの特徴というのか、本当にケアレスミスがなくならず、加えて仕事を理解して行なう事ができませんでした。そんな環境で一か月で6㎏痩せました(余談)。
委員会を途中で辞めるわけにもいかず、気づけば委員会の仕事は終わっていました。最後はなぜか美しい終わり方をしていて…笑。終わりよければすべて良し、なのか…?
委員会の仕事を経験してから私は「続けていれば必ず身につく」と考えるようになってしまいました。委員会は全然身についていなかったので例外ですが。ただ「仕事を途中で投げ出してはいけない」という風に考えるようになったんです。苦手なことから逃げてはいけないと。
結局私は結婚を理由に円満退職をしました。本当の理由は、もう一度委員会を経験したくなかったからです笑。恐らく翌年も私が委員会のメンバーになると直感したんですよね。
転職先は天国だった…?
現在の私の職場は福祉施設で作られた商品を置く喫茶店です。簡単な調理や飲み物を出したり接客を行なう店員をしています。飲食店での仕事はADHDの私にとって不安でした。しかし現在の職場は福祉に直結している事と、地元店ということもあるからか、普通の飲食店よりも簡単な作業で、何よりも人が優しかったんです。前職も人間関係には恵まれて「ここ以上に良い人間関係には出会えないな」と覚悟して辞めました。ところがです。それ以上、むしろ前職が悪かったんじゃないかと錯覚するくらいの場所に出会えてしまったんです。
「ここは天国なのか…?」と感じる毎日でした。
しかし法人内で違う仕事内容を掛け持ちするようになって事態は一変します。
新しい仕事内容で適応障害に
ある日を境に同じ法人内で違う内容の仕事を兼務するようになりました。内容はお弁当作りです。やってみて分かったのですが、お弁当を作る仕事って本当に大変ですね。大変じゃない仕事なんてないとは思いますが。
毎日注意を受け(これは本当に私が悪いから注意を受けていました)自分を責め続け毎日仕事の復習を行ない…夢でもお弁当を作っていて大きな声で寝言を言っていたようです笑
仕事内で数の数え間違いを何回もしたり、言われたことを理解できなかったり、簡単なことを理解できず毎日自分を責めました。あんなに楽しかった仕事が死ぬほど嫌で、私は「本当に自分は発達障害なのかもしれない」と思いました。ある日仕事内で今までで一番のミスをし、その日の帰り道に私は発達障害診断の予約を行ないました。
余談になってしまいますが発達障害の診断を受けられる病院って本当に人気なんですね。全然予約取れず困りました。
先生との出会い
診断当日の日は本当に緊張しました。際に先生に診てもらう前に幼少期のことなどをカウンセラーの先生に話したり…。実際に発達障害の試験を受けられるのは別日だったのですが、先生との話の時点で「ADHD」という診断を受けました(別日に正式な試験を受けました)
さらに先生は当時の私が抑うつ状態であると言ってくれました。一番衝撃的だったのが「お弁当の仕事内容はアリさんには合っていないので辞めてください」というものでした。私が「え、辞め…?辞めたら逃げたってことになりませんか?」と聞くと
「発達障害の方にとって、合わない環境から離れることも【環境調整】という治療の一つになるんですよ」と優しく言われました。
先生は「(お弁当の仕事を)もしも辞められなかったら」と、診断書を書いてくれました。その中で私は抑うつと適応障害という診断を受けました。
幸い職場では理解をしてくれてお弁当の仕事を外してくれました。以来喫茶店とその他の簡単な仕事をさせてもらっています。
逃げた方が上手くいった
前職を辞めてから毎回思うのですが、自分の判断で「これは無理だ」と考えて辞めると時点が好転するんです。今までの私は母の意見を受けて物事を判断することが圧倒的に多かったんですよね。前職の退職も母は反対していましたし、発達障害の診断を受けることについても反対はしないものの良い顔はしなかった。そんな中で「自分の責任で!」と思い決断し行動をしてきました。するとびっくりするくらい自分が生きやすくなる。この経験は前職を辞めるという決断をしてから何回も経験してきました。
楽に生きて良い
失敗をしても自分が判断して行動したことなら誰かのせいにするのではなく、自分の責任と思い受け入れることができますよね。だから失敗や挫折は、してはいけないことではなく学びに繋がるのではないかと思います。今の私は自由であり「勇気を持たなきゃいけない」と思っています。行動する勇気を持たなきゃ、と。
行動する勇気を持てばもっともっと楽に生きられる気がするんです。そうすれば誰かに期待することも、依存も少なくなるはず。
このブログは自分を奮い立たせるきっかけです!笑 行動する勇気が持てない時には「しっかりして私!」と喝を入れる場所なんですよね。
今回の記事では私の挫折と感じたことについて書きました。読んでくださりありがとうございました!
それではまた次の記事でお会い出来たらうれしいです。今日も一日肩の力を抜いていきましょう~~、アリでした。